名大の職員組合ってキャンパス中に共産党の主張全開の登り旗立てまくってるゴリゴリ共産だし、革マル系の某学部自治会(自称してるだけで学生は無関係)が未だに活動してたりで、実際に共産系のヤバい団体が集まってくるの目に見えてるから中止判断はまあ正しい気がする
卒業生だけどほんと異常だった
名古屋大学の学園祭「名大祭」で、学生実行委員会が誘致した自衛隊広報ブースが、開催前日に急きょ中止となりました。
経緯を確認します。
実行委の学生たちが他大学での出展を見て「来場者に災害派遣などの活動を知ってほしい」と考え、自衛隊側に声をかけました。高機動車の展示、防災知識の紹介、自衛隊式体力測定の体験が予定されており、名古屋大学当局もこの企画を事前に承認していました。
6月12日、「名大教職員の一部でつくる職員組合」が声明を発表しました。「自衛隊の本質が軍事組織であることを覆い隠し、学生や地域住民にかっこよさや安心感を植え付ける一面的な宣伝活動だ」という内容です。同日、大学側は実行委に対して「声明が出た以上、安全に開催される保証がない」として中止を求めました。実行委は受け入れ、翌13日のブース出展は取り消されました。
ここに、報道されていない重要な事実が一つあります。
今回の中止判断の根拠とされた「安全への懸念」は、爆破予告などの具体的な危害の予告に基づくものではありません。職員組合の「声明」という言論行為が出されたこと、それだけが根拠とされています。
比較として挙げられた東大五月祭の事例は、爆破予告という刑事事件への対応でした。今回の名大のケースとは性質が根本的に異なります。職員組合が声明を出す行為は、言論の自由として保護される正当な権利行使です。その声明の存在を「安全への脅威」と読み替えて企画を中止する論法は、論理として区別が必要です。
学生側の立場を整理します。
実行委は大学の承認を得て正規の手続きで企画を進めました。防衛省・自衛隊の広報活動は法的に適法です。自衛隊の存在については様々な意見があり得ますが、合憲性は最高裁の判断において争いのない状態にあります。学生たちが「知ってほしい」と思って進めた企画が、自分たちではなく教職員組合の声明によって、しかも開催前日に止められました。実行委が「見立てが甘かった」と話した言葉の背後には、正規手続きが十分でなかったという反省ではなく、予測できなかった構図への戸惑いが透けて見えます。
今回声明を出した「職員組合中央執行委員会」は、名古屋大学の全教職員を代表する組織ではありません。「一部の教職員でつくる」組織です。この点は中日新聞の報道が明記しています。全体意見ではなく一部の意見であっても、それが大学当局の判断を動かした。これが今回起きたことの実態です。
日本の国立大学では、自衛隊をめぐる議論が長年続いてきました。採用広報に協力するか、キャンパス立入りを認めるか、研究連携をどう扱うか。各大学はそれぞれ異なる判断をしています。今回の名大のケースは新しい論点を加えました。学生主体の自主的な企画として大学の承認を経た活動が、教職員組合の声明を引き金に「安全」を理由として止まった、という事例です。
学問の自由と大学の自治という概念は、外部の政治権力からキャンパスを守るためにある原則です。その原則が今回、どの方向に機能したかは、立場によって評価が分かれます。ただ、「正規手続きを経た学生の企画が大人の圧力で前日に潰れた」という事実そのものは、大学という場所が何のためにあるかを問い直す素材として、十分な重さを持っています。
自衛隊が好きか嫌いかという個人の感情とは切り離して、「どういう手続きで何が決まるべきか」という問いは、名古屋大学の学生にとっても、他大学の学生にとっても、次回の学園祭を企画するすべての人にとっても、残り続ける問いです。