鈴鹿市は接待もなく茶を出しただけ。予定地の四隅で職員に旗を持たせ広さを示し、作業着の担当者が説明をした。その姿勢で本田宗一郎の心を掴んだとされる。
当時の市の担当者は、戦前の計画を反故にさせず、国に公共工事の予算を出させたり、軍用地への工場誘致に辣腕を振るった人なので、たぶん作戦
本来なら鈴鹿サーキットも浜松に出来る予定だったが、地元の不動産業者が二束三文の土地をふっかけてきたことに本田宗一郎がブチギレて鈴鹿になったらしい
その場合は本田氏の理想だったホッケンハイムのよつな超高速サーキットになったのではと言っている