帰りの電車に揺られながら、ふと思ったことがある。
五十の手前という年齢は、どうやら人の時間感覚に独特の癖をつけるらしい。
何かを「やろう」と思ってから実際に動き出すまで、若い頃よりも少しだけ助走が必要になった。
その一方で、時間そのものは容赦なく加速していく。
まるで自分だけがスローモーションで、世界だけが早送りになったような、そんな奇妙な感覚がつきまとう。
焦りとも不安ともつかない薄い膜のようなものが、ずっと心に貼りついている。
意欲が減ったわけではない。
ただ、ひとつの物事に注ぎ込める熱の総量が、昔とは違う形をしているのだと思う。
若い頃の炎のような熱ではなく、今は炭火のようにじんわりと、しかし確かに燃えている。
知識欲は相変わらず健在で、本は飽きもせず読み続けている。
けれど映画やドラマ、アニメに腰を据えて向き合う回数は、気づけば減っていた。
芸事に向かうときのパワーも、かつての勢い任せの跳躍ではなく、もっと静かで、もっと深いところから湧いてくるものに変わってきた。
言葉にするのは難しい。
ただ、年齢を重ねるというのは、こういう変化を受け入れていくことなのだろう。
それでも不思議なことに、仕事となると話は別だ。
ありがたいことに新しい依頼をいただく機会は途切れず、そのひとつひとつに全力で向き合えている。
むしろ表現の精度は、昔より確実に上がっている気さえする。
若い頃には届かなかった場所に、今は自然と手が伸びる。
経験という名の地層が、ようやく自分の味になってきたのだと思う。
今日の仕事も、人生で初めての体験だった。
初めてなのに、どこか懐かしいような、胸の奥をブンブンと羽虫が飛び回っているような、心地よい不快感と興味が共存している、不思議な時間だった。
ああ、まだ自分は新しい景色を見られるのだと、そんな当たり前のことに少し感動してしまった。