蓄電、蓄熱、濃縮等、化学的アプローチもあるんでしょうし、工業化で食料生産を省人化したいんでしょうが、55歳以上の都会でやっていくには先のない人達を地方の公営農場に集団疎開させ、農作業を指導して、食料生産の担い手として育成するとかの方が現実味があったりして……。
農水省が新しい研究テーマとして植物工場を選んだと聞いたとき「え?また?まだやんの?」と、正直思った。
植物工場は、もう20年も前にブームが来て、非常に多くの企業が「次世代の農業だ!」と飛びついて、ほぼすべての企業が討ち死にしたテーマ。残っている植物工場はごくわずかで、しかも長期で黒字にできているところは少ない。つい最近になって「植物工場は儲からん」とほぼ結論が出ているテーマに「まだ取り組むの?」と驚いたのが正直なところ。
何か画期的な技術が生まれたのか、というと、そうでもない。莫大なエネルギーコストがかかるという植物工場の欠点はそのまま。そしてホルムズ海峡封鎖の現状では、この欠点が大きく響く。
植物工場を運転するのに必要としたエネルギーを1としたら、農作物として収穫できるのはよくて0.1-0.3(こうした数値をEROIという)。大幅な赤字。しかもできた農作物はレタスなど野菜ばかりで、腹が膨れない。カロリーがとれない。恐らくEROIは0.1よりもずっと低いように思われる。
田んぼで稲を育てるのでも、化学肥料を使い、トラクターを動かし、化学農薬を利用するなら、EROIは0.4弱。植物工場はさらにLEDで光を作り、エアコンで冷房や暖房も必要。水の流れを作り出すポンプも稼働させなければならない。そんなこんなを考えると、かけたエネルギーに対して収穫として得られるエネルギー(EROI)はかなり低いものと思われる。
それでもまだ、ホルムズ海峡封鎖という問題が出ていなかった時期であれば、植物工場で遊ぶのも悪くなかったかもしれない(私は研究は遊びのようなものだし、遊んだ方が画期的な技術が生まれると考えている)。しかし、ホルムズ海峡が封鎖され、石油が思うとおりに手に入らなくなった。天然ガスもカタールが攻撃を受け、高騰している。今は政府がこうした化石燃料に補助金を出しているから電気代にも表れてこず、パニックは起きていないが、補助金を外したら大変なことになる。まともに電気代を上げたら、植物工場のほとんどが経営で成り立たず、もろ手を挙げて降参するしかないだろう。
もしこれからの農業研究を推進するなら、「低エネルギー、省エネルギー」を柱にすることが非常に重要だと考えている。化学肥料を製造するには、実は大量のエネルギーを必要とする。トラクターなどの農業機械を動かせるのは事実上石油(ガソリンや軽油)だけで、農業機械のようなパワーが必要な機械の場合、電池で動かすのはかなり厳しい。
ホルムズ海峡封鎖がいつ解けるか分からない。もし解けたとしても、石油が今後採れづらくなるエネルギーであることを考えると、これまでのように「石油などの化石燃料をバンバン燃やして化学肥料を大量に製造し、トラクターをガンガン動かせばいい」なんてことができなくなっていくのは目に見えている。
なるほど、石油の埋蔵量はまだまだ多い。2020年の時点で、2020年に使用された石油の量の50倍ある。つまり、あと50年分は石油があるということ。このことを知ると、石油がエネルギーとして使えなくなる、なんて言葉は信じたくなくなるだろう。ところが。
石油を掘るのに要したエネルギーの何倍、石油が採れたかという「EROI」が大幅に悪化している。かつては200倍の石油が採れたのに、今では10倍程度。ひどい油田では7倍程度になっているらしい。
このEROIの数値が3倍を切ると、石油はもはやエネルギーとして意味を失ってしまう。石油(原油)のままでは自動車を走らせることはできず、ガソリンや軽油に加工しなければならない。それらをガソリンスタンドにまで運ばなければならない。こうしたことにエネルギーが必要なため、石油をエネルギーとして利用するには、どうしてもEROIが3倍必要。でも、その3倍に向かってどの油田もどんどん採算が悪化している。
他方、太陽電池はEROIが20倍程度となり、もはやエネルギーとして太陽電池の方が採算性がよくなり始めた。急速に電化が進められるようになったのは、こうした時代背景があるように思う。それでも。
まだ電池が重い。かさばる。乗用車程度を動かすのなら無理ではなくなってきたが、まだ大型トラックを動かすには、採算性の意味でも難があるらしい。農業用トラクターのようにパワーが必要なものは、電池では難しい。
しかし、石油はいずれエネルギーとして役に立たない時代が来る。その時代が来る前に、まだしも石油をエネルギーとして利用できるうちに、石油でトラクターも運送用トラックも動かせなくなる未来に備えて、研究開発を進める必要がある。
トラクターやトラックなどの機械を動かすエネルギーだけの話で終わらない。化学肥料の問題も大きい。化学肥料のうち最も重要な成分であるアンモニアは、天然ガスあるいは石炭のエネルギーを利用して製造している。そのエネルギー消費量はなんと、世界のすべてのエネルギー消費量の1-2%にも達すると言われる。アンモニアだけで!他にもいろんな肥料成分が必要だというのに!
天然ガスや石炭を使えば、当然ながら二酸化炭素が発生する。地球温暖化は深刻化しており、日本だけでなくアメリカ、ヨーロッパなどで、経験したこともないほど広大な地域で毎年のように猛暑を経験するようになった。地球が温暖化しているのかは私は分からないが、これらの地域が「灼熱化」しているとはいってよいだろう。
まだ地球温暖化を疑っている人がいるのは承知しているが、おそらく二酸化炭素の排出は減らす必要がある。そのためには、大量の天然ガスや石炭を必要とする化学肥料の製造を見直す必要がある。ところが。
バーツラフ・スミル「世界を養う」によると、化学肥料を一切使用しないのであれば、地球は30-40億人展度しか養えないだろう、と試算されている。残念なことに、破滅的な事態を招かないためには、化学肥料を一定程度使用することは避けられないように思う。しかし、化学肥料の使用量を減らし、有機肥料の利用をできるだけ効率よく行うことが今後は求められることになるだろう。
化学肥料の使用量を減らそうとした時、困ったことが起きる。「都市化」が進み過ぎたこと。今や世界の人口の半分以上が都市に住み、農村などの田舎に住むのは半分以下になっている。日本などは、東京のような首都圏に国民の3割が集中している。その大人口を養うため、地方は農業を行い、トラックで遠くから食料を運び込んでいる。でもこれ、おかしくないか。
石油が安かったから、鹿児島や北海道のような遠方からでも東京に食料を出荷してきた。東京は都会で高給取りも多いから、わざわざトラックの燃料を消費してでも東京に出荷したほうが儲かった。でも、石油が高騰する、あるいはそもそも手に入らないとなったらどうなるのか。東京など大都市に食料を運びたくても、運賃を負担しきれなくて運べない、という事態が起こり得る。「都会に大人口、田舎は少人数で農業」という役割分担が可能だったのは、石油が安かったからに他ならない。
また、「肥料」の問題でも、都市化は大きな問題をはらんでいる。東京に人口が集中しているため、食べ残しの生ごみや、人間のいたした糞尿という「有機肥料」が、大都会では余まくっている。でも、とても首都圏の農地だけでそれらの有機肥料をさばききることはできない。ほぼすべてのそれら有機質資源は、有機肥料として利用されることがないまま、焼却されたり下水処理して分解されたりしている。
しかし、焼却するにも石油が必要。下水処理するにもエネルギーが必要。有機肥料として利用すれば価値があるのに、ムダにゴミとして処理されているのが現状。しかもエネルギーを消耗する形で。
では、東京で発生した生ごみや人糞尿を有機肥料として田舎に運べばいいじゃないか、と思われるかもしれない。ところが、それらは化学肥料と違って水分を多く含むため、重い。それでいて肥料としての濃度は薄い。このため、トラックで運ぼうにもその重さで燃料を消費する割に、肥料としての効果は薄い、という問題がある。
有機肥料を有効活用するには、それが発生する場所と農村が近い、ということが重要になる。江戸時代には、当時から江戸は大都市だったと言っても、農村が広大に広がっていた。しかもすぐそばにあった。だから農家は肥やしとして取りに行き、畑に利用していた。でも、今のように極端に都会に人口が集中し、農村と距離がかけ離れていると、有機肥料を有効に活用することはできない。
「石油が安い時代」には、地方で食料を生産し、トラックで都会に運ぶ、というやり方が「効率的」だった。しかし石油が高騰する、なんなら手に入らない時代に入った時、「効率」の意味は変わる。都市部に人が集中し、そこで発生する有機質資源を田舎で有機肥料として活用するということが効率的に行うことができず、非効率となる。
私たちは、石油が安かった時代の常識をそろそろ捨てる必要がある。太陽電池でエネルギーを作り出せるようにはなったものの、それを夜までもたせる「電気を貯める技術」もまだ十分とは言えない。そもそも、太陽電池のエネルギーで化学肥料を製造できるのかも分からない。化学肥料を製造するには、24時間同じ調子でプラントを動かし続けることが必要だが、太陽電池は昼にしか発電できない。風力発電は気ままな風任せ。
原子力も「資源量」の問題がある。現在の原発の数なら170年分ウランはあると言われているが、もし中国やアメリカなどが原発を5倍に増やしたら、ウラン資源は30年ほどしかもたなくなる。原子力も「限りある資源」。
核融合は実用化が近い、などと騒がれるが、現時点では「小さな水爆爆発しました」という程度の話で、エネルギーを作り続けるメドが立っていない。
バイオマスエネルギーは、たとえば日本は国土の6割以上を森林が覆っているが、この森林をすべて伐採して発電すると、0.9年分しか電気を賄えない。木が再び育つ50年後まで電気がない生活を送らなければならない。バイオマス発電もその程度の力。
生ごみや家畜糞尿をメタン発酵して、そのメタンでエネルギーを、と言う話がある。これはこれで実施すべきではあるのだが、生ごみや家畜糞尿も、もとをただせば化学肥料で育てた穀物や家畜のエサだったことを思いだす必要がある。石油などの化石燃料を思うように使えず、化学肥料を思うように使えなくなってもなお、生ごみや家畜糞尿は、今のように盛んにメタン発酵できるほどに発生するのだろうか?これも試算してみないと分からない。
私たちの社会は、驚くほど石油などの化石燃料で駆動していた社会。それを失った時、食料生産もままならなくなる。そして今回、ホルムズ海峡封鎖という「事件」により、擬似的にその時代を先回りして経験している状況。これが戦争と言う一時的(一時的であってほしいが)な現象ではなく、恒常的な条件になったとき、食料生産は非常に厳しいことになりかねない。
石油が思い通りに手に入らなくなる。そんな状況が今回生まれたばかりでなく、今後もその状況が続く恐れがある。そのための食料生産技術を開発する必要がある。よりによってエネルギーを大量消耗することが前提の植物工場を研究の主軸に据えるというのは、時代錯誤といってよい判断のように思えてならない。
もちろん、植物工場の研究をすべてやめる必要はない。理由は、異常な酷暑。以前は、真夏でもトマトやナスなら育てられなくもなかった。しかし体温を超え、さらに40℃の大台も超える気温を示すようになった日本では、真夏に野菜をまともに育てられなくなりつつある。植物工場はその点、しっかり断熱し、太陽光も利用しないから、適切な温度管理で野菜などを育てることができる。むろん、冷房や照明などに大量のエネルギーを消耗するから、エネルギー的にメリットのある栽培方法ではないことには変わりはない。しかし、もはや普通の畑では育てられなくなった真夏に野菜を供給し続けることができるというメリットは、決して小さくない。だから、植物工場を全否定する必要はない。しかし。
エネルギーをバカ食いする栽培法は、今後、大々的に農業の主軸に置くことは難しくなるだろう。何も育てられないほど酷暑の真夏を除けば、豊かな太陽光を利用できる露地の栽培はエネルギーコストも小さく、大変優秀。
低エネルギー、省エネルギーの食料生産技術。これを真剣に研究開発する必要がある。石油がまだエネルギーとして利用可能な間に、これらの技術を開発し終える必要がある。石油がなくなってからでは、研究開発すら遂行することはおぼつかなくなるだろう。なぜか農業界でこうした意見発信をする論説が見当たらないので、私がしてみた。国の中枢にある方はぜひ、以上のような社会状況の変化を踏まえた農業生産研究を考えて頂きたい。