第二次世界大戦時の生物・細菌兵器の開発と使用の罪で、日本の主要な戦犯を引き渡すよう求めたソ連外交文書を米国が無視していたことが分かった。ロシア外交政策アーカイブの機密解除文書で明らかになった。名簿の筆頭は
#昭和天皇 だった。
名簿の筆頭は
#裕仁天皇(昭和天皇)で、次に細菌兵器の開発・実験に携わった731部隊(正式名称:関東軍防疫給水部本部)初代部隊長の石井四郎、100部隊(同:関東軍軍馬防疫廠)の若松有次郎獣医少将が続く。さらに名簿には731部隊2代目部隊長の北野政次、関東軍総参謀長を務めた笠原幸雄、昭和天皇の弟である三笠宮崇仁親王、同じく皇族で陸軍参謀、731部隊の担当参謀を務めた竹田恒徳も含まれている。
外交文書案には「日本の帝国主義者は自身が仕向けた攻撃的戦争において、平和を愛する諸国民に対して細菌兵器の使用を計画していた。細菌兵器は軍隊への攻撃、また高齢者、女性、子どもを含む一般市民への攻撃を目的とし、ペストやコレラ、鼻疽や炭疽菌などの致命的な疫病を拡散させるという大規模な使用が想定されていた」とあった。
また文書案には、これら兵器は日本軍の細菌部隊である731部隊と100部隊により開発されていたこと、両部隊は昭和天皇の命、陸軍省および参謀本部の指示により特別に編成されたものであることも記されていた。
両部隊の組織編制や活動内容などの詳細な説明もあった。
731部隊だけでも「非人道的な犯罪実験を行うことにより、3000人以上の残忍な殺害に関与した」と述べている。
ハバロフスク裁判では、細菌兵器を日本軍が開発していただけでなく何度か使用していることも証明されている。1939年にハルハ川付近でモンゴルとソ連に対し、また1940-42年の日中戦争時に日本軍「細菌調査団」がペストとチフスを流行させた。
文書では、1925年のジュネーブ議定書「戦争における窒息性、有毒、および類似のガスおよび細菌性物質の使用禁止」を含む、当時の国際規範について言及されている。
最後に「ソ連政府は戦犯として裁判に処するため、人類に対する重大犯罪に問われる裕仁天皇、石井四郎、北野政次、若松有次郎、笠原幸雄をソ連当局に引き渡すよう求める」と文書は結ばれている。
ソ連の外交文書は1950年2月1日にアレクサンドル・パニュシキン駐米ソ連大使によりディーン・アチソン国務長官に手渡されている。しかし米国側はソ連側の主張を無視し、ソ連が要請した5人を引き渡すことはなかった。
sputniknews.jp/20210903/8669……
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