【「わたしたち」と「あいつら」ではない「われわれの拡張」としての「連帯」をする】
学校や組織におけるインクルージョンに関する活動をする中でも、少年院から出院した方たちのアドボカシーを実践する中でも、私が何をしようとしているかというと、
「わかっているわたし」と「わかっていないあいつら」や、
「差別をしないわたし」と「差別をするあいつら」、や、
「犯罪をしないわたし」と「犯罪をしないあいつら」を分けて、「正しい私たち」が連帯をするのではなく、「われわれの拡張」(エクスパンジョン)としての「連帯」を目指している。
そうする方法でしか、私たちは共に生きれないと思うから。WEの拡張、USの拡張。
今日の移動のお供
朱喜哲「バラバラな世界で共に生きる」