DAZNの「月980円」問題を理解するには、この会社の現CEOが何者かを知っておく必要があります。
笹本裕氏。1988年リクルート入社。MTVジャパン代表取締役社長、マイクロソフト常務執行役員を経て、2014年にTwitter Japan代表取締役に就任しました。9年間、日本のSNS空間の最前線に立ち続けた人物です。2022年、イーロン・マスクがTwitterを買収すると経営方針が激変しました。笹本氏は自著『イーロン・ショック』(2024年8月、文藝春秋)に「何が起きたか、一言で言えば破壊だった」と記し、2023年に退任しています。翌2024年2月、DAZN Japan CEOに就任しました。
Twitter Japan時代に笹本氏が公式の場で残した言葉があります。「Twitterは表現の自由の場ということではない」。2018年末、メディアの取材に対してこう述べています。プラットフォーム企業のトップが「ここは自由な言論の場ではない」と言明した事実は、当時多くのユーザーに記憶されています。
マスクが推進したのは、その逆の方向性でした。凍結されていた大量のアカウントを「恩赦」として復活させ、「言論の自由」を掲げた運営方針への転換を宣言しました。笹本氏はこの路線と折り合えず2023年に退任しています。本人は自著で「日本でのリストラは大きな間違いだ、無駄な抵抗とわかっていたが意思表示すべきだと思った」と記しています。
この経歴を持つ人物が今、DAZNのCEOです。
DAZN Soccer「月980円」問題の核心は、UIの設計にあります。申し込み画面では「月980円」だけが大きく表示され、年間契約・途中解約不可・総額2万6340円という条件は小さなグレー文字に収められていました。横に並んだ「月1980円」の月間プランと「月980円」の年間プランを比べれば、安い方を選ぶのは当然の行動です。しかしW杯期間だけ視聴したかった人が980円を選ぶと、大会終了後も9ヶ月間、月2600円の請求が続きます。月間プランを2ヶ月使って解約していれば総額3960円で済んでいた。その差は2万2380円です。
このプランはアプリからは選択できず、Webブラウザ経由に限定されていました。W杯という4年に1度の高揚感の中で、「同じ試合が見られるなら安い方」という直感的な判断を誘発するタイミングで展開されたキャンペーンでした。
これは「ダークパターン」と呼ばれる設計手法です。ユーザーが自分に不利な選択を無意識にしてしまうよう誘導するUI設計のことです。今回は2つの要素が重なっています。一つは視覚的強調の悪用——「980円」だけを大きく見せ、重要な契約条件を目立たない位置に配置する。もう一つは選択肢の並列による誘導——月間プランと年間プランを横に並べ、金額の差だけで判断させる構造です。デジタルプラットフォームの情報設計を9年間にわたって最前線で扱ってきた人物が率いる組織が、このUIを採用しました。
批判を受け、DAZNは6月13日に謝罪を発表しました。ただし救済対象は「2026年5月30日から6月11日午後8時まで」に契約したユーザーに限定されています。炎上が本格化した6月12日以降に契約した人は対象から外れます。謝罪文に、UI設計の改善を約束する記述はありません。
消費者庁は2025年4月、国内102のウェブサイトを対象にダークパターンの実態調査を公表しています。2022年施行の改正特定商取引法は定期購入の誤認表示を禁じており、最終確認画面での重要事項の明示は事業者の法的義務です。「規約には書いてあった」は免責の根拠になりません。消費者庁は2026年現在、ダークパターン規制の法改正検討も進めています。
「Twitterは表現の自由の場ではない」と公言し、ユーザーとの情報の非対称性を前提とするプラットフォームを9年間運営した人物が、マスクの路線と折り合えず退場し、次のステージで今度は消費者の契約判断を設計した。言論空間の設計から消費者行動の設計へ。扱う対象は変わっても、情報の出し方と隠し方を制御することで相手の判断を誘導するという論理は、一貫しています。
DAZN Soccer契約者へ。5月30日から6月11日午後8時以前に加入した方は、DAZNのサポートへ解約・返金を申し出ることができます。それ以降に加入した方は、月間プランへの切り替え交渉か年間契約満了を待つかの判断になります。まず、マイアカウントで契約内容を確認してください。