日本語は難しいと皆に言われました。
私は微笑んで「わかった」と言いました。
わかっていませんでした。
今日、一生感じてきたのに言葉にできなかった感覚に、日本語では名前があることを知りました。
木漏れ日
葉の隙間から差し込み、地面で揺れる光。
ナイジェリアでも木の下でずっとこの感覚を感じてきました。
でも私の言語にその言葉はありませんでした。
そして日本語はこの一つの光の瞬間だけのために言葉を作っていた。
考え続けています…
一生生きてきて、名前のない感覚がいくつあるのだろうか?
言葉を持つことで、その体験は変わりますか?
木漏れ日という言葉を知った後、葉の隙間の光の見え方は変わりましたか?