パチュリー、鷺沢文香、オカルトマニア、他にもたくさんの爆乳でも太ってもいないけどそうであってほしいキャラを、デカムチ絵師たちは点と点を繋いで線を描くように巡りながらその性癖を加速させていった
うすほそキャラと違ってデカムチキャラはそもそも存在してなかったから、自分たちでそれらしいキャラを太らせて爆乳にしてシコるしかなかった
逆を言えば、ないなら自分たちで作るという積極性があった
人類の生誕以来豊満な女体は生命力の象徴であるから、それを追い求める衝動にも供給不足に負けない強い生命力が宿っているということを意味していると思う
その観点はガリガリに痩せた生命力の希薄な女体に欲情するうすほそ派がデカムチ派とは逆に、キャラの体型を改変してまで開拓の道を歩まなかったこととも関係があるかもしれない
デカムチ派とうすほそ派ではエロへの貪欲さや生命力が違ったのではないだろうか
デカムチ派には痩せているキャラを太らせる過程そのものにエロを見出し、デカムチ派でありながらあえてうすほそキャラを性欲の対象とする肥満化フェチという一派も存在する
これを生命力と呼ばずして何と呼べばいいのだろうか
ただここで勘違いしてはいけないことは、豊満な肉体に欲情することが生物学的に正常だったとしても、それはデカムチ派とうすほそ派の性癖に優劣をつける根拠にはならない
デカムチ派は勢力で完全に上回ったからこそ、事実であることと正しさは必ずしも一致しないという自然主義的誤謬の観点を忘れて傲慢になることは避けたい
公式デカムチキャラなどひとりもおらず自給自足の日々を送り、すーぱーぽちゃ子の出現に涙を流した歴史を持つ我々だからこそ、太らせることはしても排斥はしないという姿勢を大切にするべきではないだろうか