「浪費」と「消費」を異なるものとして、浪費の価値を再定義していたのは「暇と退屈の倫理学」だったでしょうかね。個人的には、「浪費より投資!」と常に鼻息の荒い人より、見ていて楽しげな浪費をそのまま人間的な厚みにしていってしまう人の方が魅力的だな、とか思ったりもします。
『金持ち父さん貧乏父さん』あたりから”浪費/投資”という言葉で、良いお金の使い方/悪い使い方を分別するそれっぽい意見が増えたけど、モチベーションの向きは変えられないので「投資と浪費という言葉で、お金の使い方を語る人を信用するな」と言っていた知人の方が
確かに信用できるな…と思ってるの、私だけじゃない気がする。同時に、私は「投資として使う」という言い訳で、
・旅行
・書籍
・デスク回り
などなどにお金をかけまくっているけど、実際収入は増えてるけど貯金は貯まっていないので、多分浪費しているのだと思う笑