完全に逆で、社会で学ぶ機会が消失した基盤知識というのは、教育で教えるべきものなんだよ。
これの最もプリミティブな例は計算だ。
人間が紙とペンを使って四則演算をする仕事というのは、1970年代まで計算手という名前で存在したが、それ以降は電卓によって完全に消失した。
じゃあ人が計算することはないんだから、筆算なんて教育に必要ないよね、とはならない。筆算のような計算手法は現代のあらゆる職業で使われるもので、これから先もすべての人間が学ぶべきものだろう。
それと同じように、人間がプログラムを書く職業が消失したとしても、プログラミングを学ぶことの意義は間違いなくあるだろう。
もちろん、現代のアメリカ人が暗算すらまともにできないことを鑑みると、教育を受けられる特権階級の教養となる可能性は高い。だが、それでも教育する価値があるのは間違いない。
手計算なんて必要ないからと言って、子どもに九九や筆算を教えない親と同じ類の過ちを犯すことにならないよう、肝に銘じなくてはならない。
もうプログラマーは育たないのだとすると、大学でプログラミングの授業をすることに意味があるのか、よく分からなくなってきた。