こないだ奢りにきた高偏差値JKが「好きなものが、ない訳じゃない」「だけど、ホントに『好き』と言っていいのか、不安になる」「だって、私より好きな人が沢山いるじゃないですか」と言ってたので、「へぇ。『好き』にも偏差値があるんだ」「じゃあ、どうなれば『好き』と言っていい?」と聞いたら
「うーん」と黙ったので、「じゃあさ、たとえば、学校の勉強を『好き』と言っていいのは、テストの偏差値が高いひとだけ、ってこと?」と聞き直したら、「いや、全然そんなことはないです。あっ...そっか...たしかに!」と納得していた。
「でもさ、どうして『好き』と言うのが怖くなるんだろうね?」「たぶんさ、あなたは学校の勉強を、正直どうでもいいと思ってるでしょ?」
「はい、たしかに」
「だから、逆にがんばれるんだよ。どうでもいいから。それがもし、あなたの核を支える、『好き』に近いものだったら、あなたの場合、がんばれない」
「たしかに、そうかも」
「うん、『好き』はこわいからね」
「こわい?」
「うん、こわい。だって、『好き』が否定されたら、じぶんを丸ごと、否定されたきもちになるでしょ。『好きだから』が、うまくいかないだけで、『好きなのに』になる。どうでもいいことをがんばれるのは、その結果が、ほかの人より劣っていても、『どうでもいいから』なんじゃないの?」
「そっか...私は『好き』で負けるのが怖かったんだ。だから、勉強はできる。好きじゃないし、負けていいから」
「だから、むやみに『好き』と言わないで居たいのは、競いたくないからなんじゃない?負けたくないっていうか、競いたくない。必要ないしね」