非常に同感な部分が多い。
特にさっきのポストで書き忘れたけど、スピ系の悪いところは、なんか承認欲求が見え隠れして、奉納といいながらも、自分を見せたいと感じるところにあるなぁと思う。
いや神社には基本的に狭義の「教義」なんてねえだろ。神社のレーゾンデートルの一つがその公共性にある以上、施設管理者としては相応の奉納料さえ払ってくれて神社護持の一助になるなら受け入れるのは当然だろ。
そりゃあミトノマグワイの秘儀を奉納しますと言われたら断るだろがw
そもそも折口を引くまでもなく舞踏の発生は鎮魂や祓いに関係するもんでありスピ踊りの人たちもその基本衝動や主観においては個体発生として系統発生を繰り返しているとも言える。
実際にそれがさまになってるか、実際に鎮魂や祓になってるかの判定は相当の審神眼がないと出来んだろう。それともあんさん方は「祓」とか「鎮魂」とか言うスピ踊りは認めませんと、神社が神社本庁的イデオロギーを剥き出しに言うべきとのご所存なのか。
そもそも奉納は神さんに対して奉るもんでその神さんに対する思いはそれこそ一人一宗なのでよいことだと思う。
但し、本来の神事としての舞踏においては踊り手の自我は存在せず、むしろ自己を消し去る器になることが求められるのが、現代のスピ系舞踊の多くに見られるのはむしろ「美しく、神聖な自分を表現したい」という強い自我(自己肯定・自己表現)であることは気にかかるが。