投稿者は、高市氏が「両手を膝の上でそろえ、膝もしっかり閉じ」ている姿を「媚びたポーズ」と批判していますが、これは日本の伝統的な礼儀作法および公の場における標準的な身体言語に対する無知を露呈しています。
日本では、公の場で椅子に座る際、男女を問わず「背筋を伸ばし、膝を閉じる(あるいは揃える)」ことが格式高い場での敬意の表現とされます。特に和装やスーツ・スカートを着用する文化において、膝を開くことは「はしたない」「相手への敬意を欠く」とされるのが一般的です。これは「媚び」ではなく、相手に対するマナーであり敬意の表明です。
一方で、メローニ首相が「手も足も組み、まっすぐ前を見据えている」のは、欧米(特にイタリアやアメリカなど)の政治文化における「堂々とした態度(パワフルなプレゼンテーション)」の表れです。欧米では、足を組む姿勢が必ずしも無礼とはならず、自信やリラックスしたリーダーシップを示す身体言語として許容されています。
つまり、これは単に「日本(東アジア)の礼儀作法」と「欧米の身体言語」の文化的な違いに過ぎません。日本の公人が日本のマナーに則って座っている姿を「媚びている」と断じるのは、自国の文化コードを一方的に貶める「文化的劣等感」の表れです。
投稿者は「高市はスカート姿。メローニは黒のパンツスーツ。対照的だ」とし、スカート着用を「古い女性像の押し付け」のように捉えています。しかし、これも国際的なドレスコードの文化から見れば完全に的外れです。
女性政治家がフォーマルな外交の場でスカート、スーツを着用することは、国際外交儀礼上、何の問題もない正装です。
「パンツスーツを穿くこと=自立した先進的な女性」「スカートを穿くこと=家父長制に縛られた従属的な女性」という二分法は、服装の自由を制限し、ステレオタイプを押し付ける極めて偏った見方です。
このポストの最も悪質な点は、「女性のエンパワーメント」を標榜しているように見せかけて、その実態は「女性の主体的な選択を監視し、採点し、検閲する」という極めて性差別的な家父長制的仕草そのものを行っている点にあります。
投稿者は高市氏の政治的業績や対談の内容ではなく、「座り方」「笑顔」「スカートの丈」といった外見や身体的特徴のみを捉えて執拗に批判しています。
もしこれが男性政治家であれば、「座り方があざとい」「ズボンの丈が配慮しすぎている」などと個人的な服装のディテールをここまで性的な視点(「媚びている」など)を交えて公に批判されることはまずありません。女性政治家に対してのみ、このような「外見の政治化」を行うこと自体が、典型的な女性差別・ジェンダーバイアスです。
高市氏が見せている笑顔を「媚びた笑顔」とレッテル貼りしていますが、これは「女性の笑顔=他者(特に権力者)にへつらうためのもの」という、あまりにも手古摺った(あるいはミソジニー的な)偏見に基づいています。
外交の場において、笑顔は良好な二国間関係を築くための「プロフェッショナルなツール、外交的コミュニケーション」です。
それを「媚び」と解釈するのは、発言者自身が「女性は常に誰かに媚びる存在である」という差別的なフィルターを通してしか女性を見ていない証拠です。
この写真を見て、日本人女性が置かれてきた立場をあらためて考えさせられた。高市は両手を膝の上でそろえ、膝もしっかり閉じ、「女性らしい」ポーズで媚びた笑顔を見せている。一方のメローニは、手も足も組み、まっすぐ前を見据えながら威厳のある表情をしている。高市はスカート姿。メローニは黒のパンツスーツ。対照的だ。
私が高市を見て不愉快になる理由の一つは、家父長制の中で演じることを求められてきた「女性」像をデフォルメして体現しているからなのかもしれない。(本質はそうじゃないのに)
いつもよりわずかにスカート丈が長いのは、相手が男性ではなく女性だったからか。そういう「配慮」もあざとく感じてしまう。