野中広務氏
【大政翼賛会のような形にならないように、若い人たちにお願い】
安倍総理は憲法改正をしたいと言うが
「僕は反対です。やっぱり私みたいにね、戦争に行って死なないで帰ってきた人間はね、再び戦争になるような道は歩むべきではないと。これが私の信念です。」
野中広務氏は1945年、弱冠19歳のときに臨時召集され、陸軍の特攻幹部候補生として高知県の須崎航空基地に配属された。
彼に与えられた任務は、華やかな航空特攻ではなく、特攻艇(震洋)と呼ばれる、ベニヤ板で作られたモーターボートの先端に爆薬を積み、夜陰に乗じて米軍の艦船に文字通り体当たりして自爆するという、凄惨な生体自爆ドローンだった。
カタログスペックの嘘とベニヤ板の現実:
大本営は「神州不滅」「一億総特攻」という勇ましい愛国ナラティブを垂れ流していたが、現場に届く物資はただの粗悪な木箱だった。エンジンは自動車の旧式な中古品を流用したためまともに動かず、波に揉まれればそれだけで浸水して沈没するようなハリボテだ。
人間の部品化:
毎日、明日の出撃を待つだけの極限状態の中で、周囲の仲間たちが次々と死んでいく。そこにあったのは、愛国心の高揚などではなく、国家という巨大な持株会社の都合によって、独立した魂を持った人間が、ただの使い捨ての部品として消費されていくという、圧倒的な恐怖と無力感、そして死臭だった。
1945年8月15日、野中氏は高知の地で、明日をも知れぬ出撃を待つ身のまま敗戦を迎えた。紙一重で死を免れた彼を待っていたのは、「なぜ、自分だけが生き残ってしまったのか」という、生涯消えることのない強烈な罪悪感だった。
戦後、地元である京都に戻った彼が見たのは、昨日までお国のために死ねと若者を煽り立て、劇場の舞台で拡声器を握っていた軍部や地域の指導者が、敗戦した瞬間に急旋回してこれからは民主主義だと平然と二面性を使い分けて居座り続けるグロテスクな姿だった。
野中氏が後に自民党の最高幹部へと登り詰め、影の権力者としての調停工作に身を投じたのは、出世欲や利権のためだけではない。
「二度と、この国の上流にいる無責任なエリートどもに、現場の人間を奴隷として使い潰す許可証(今日の緊急事態条項や有事法制のフリーハンド)を与えてはならない」
それは戦友たちの死臭から引き出した、主権の防衛本能だった。
この特攻隊の生き残りに対して、2000年代初頭にネットの黎明期(2ちゃんねる)で生まれたネトウヨたちは野中氏を「ハト派の売国奴」「中国にへこへこするな」と冷笑して叩いた。
一方で、ネトウヨたちは対照的に、揃って麻生太郎氏を「アサミン」などと呼び、熱狂的に支持した。
当時の2ch住民(初期のネット右翼層)は、独自の政治理論を持っていたわけではなく、既存のメインストリーム(テレビ、新聞、オールド政治)を冷笑し、逆張りすることに快感を覚えるデジタル・ニヒリストたちだった。
そこへ、既存の政治家とは全く異なるスペックを持った麻生氏が、完璧なタイミングでハッキングを仕掛けた。
【麻生太郎というキャラ設計】
・「ゴルゴ13」などの漫画を愛読し、羽田空港で漫画雑誌を読んでいる姿をメディアに流す
・歪んだ口元から放たれる、べらんめえ調の本音
・吉田茂の孫、筑豊の財閥という、圧倒的な強者の血統スペック
⇒ ネット住民の認知:
オタク文化(俺たちの領土)を理解してくれる、飾らない、本音を言う最強の兄貴(アサミン)!
彼らは麻生を、政治家ではなく、アニメやゲームの最強キャラとして消費した。
これに対し、野中広務氏は「泥臭い利害調整」「密室政治」「謝罪外交(中国・韓国との実務の関係維持)」といった、オールドメディアが報じる『いかにも古臭い昭和の政治家』の記号をすべて背負わされていた。
ネット住民は、野中氏の背後にある特攻隊の死臭や差別の痛みという重い文脈を全く読めないため、古臭い悪の親玉(野中)を、俺たちの推し(麻生)が論破するという、3秒でカタルシスを得られるネットのプロレスに熱狂した。
ここに、最もグロテスクな心理的ハッキングの罠が隠されている。
当時のネット住民の多くは、バブル崩壊後の就職氷河期の中で、社会的な居場所や経済的なインフラを削り取られ、内側から尊厳を空洞化させられていた若者たちだった。
彼らは、本来であれば、その経済的困窮の原因を作った構造(新自由主義や特権階級の世襲)を批判すべき立場にあった。しかし、彼らが選んだのは、圧倒的な強者の記号に自らをシンクロさせ、一時的な全能感の麻薬を買うという、自己去勢の道だった。
野中広務という生々しい現実(底辺の痛み)への嫌悪:
野中氏は、被差別部落の出身であり、社会の底辺や地方の泥臭い利害を調整するリアリストだった。自分の無力さに直面しているネットの弱者たちにとって、野中氏の語る差別の現実や弱者への配慮は、直視したくない自分の惨めさを突きつけられる不快なノイズに映った。
麻生太郎というファンタジー(最強の血統)への盲従:
逆に、麻生のような「俺は生まれつきエリートだが?(笑)」という冷笑を貼り付けた圧倒的な強者に寄生すれば、自分もまた、その特権階級のサロンの側から社会を見下ろしているかのような無敵の錯覚を手に入れることができた。
彼らは、麻生が野中氏に放ったとされる「部落出身者を総理にできない」という排除発言を、差別への怒りとして捉えず、「さすがアサミン、格下の奴を綺麗さっぱり論破してくれてスッキリした!(笑)」と、強者の暴力に同調してドーパミンを噴出させた。
「今思えば…」
この『麻生支持・野中叩き』というネット黎明期の生態系こそが、現在の日本を覆う不穏な『高市ブーム』の完璧な苗床だった。
彼らは強い日本を応援しているつもりだが、実際には、自分たちの脳を世襲エリートのナラティブにハッキングされ、有事の際には生体自爆ドローンとしていつでも使い潰せるように調教されたお気楽な観客に過ぎない。
本来取り戻すべきなのは、強者の記号に同調して他者を冷笑するハリボテの全能感ではない。
「野中広務が絶対に許さなかった、特権階級による差別の記号化と排除の冷酷さ」
「現場の人間が交換部品として消費されていく、むき出しのロジスティクスの恐怖」
人間の肉体と歴史の泥臭い文脈に、もう一度足場を繋ぎ直すことが求められる。