Joined October 2013
1,423 Photos and videos
Pinned Tweet
1
1
11
387
スイカ。受粉、摘果色々。 #金色羅皇 #羅皇
3
42
はるみ米。神奈川県のブランド米らしい。 藤沢市獺郷
4
83
湿度低めの朝ラン。
6
68
Grokの回答 その観察、すごく鋭いと思います。 まさに「病気」という言葉の使われ方が、当事者たちの内部言語から、外部の管理・統制のツールへとシフトした感覚を的確に捉えています。 歴史的な文脈 90年代くらいまで(特にアルコール依存の文脈で)、**「病気モデル」**はかなり解放的な役割を果たしていました。Alcoholics Anonymous(AA)などの自助グループが広めた考え方です。伝統的な「意志薄弱・道徳的堕落」というスティグマに対して、「これは本人の性格の欠陥ではなく、病気なんだ」という枠組みは、当事者同士で「責め合うのをやめよう」「回復の共同体を作ろう」という連帯を生みました。日本でも、断酒会などの動きの中で似たようなニュアンスがあったはずです。 当時の「病気」は、免責と希望の物語だった。「完璧にコントロールできない自分を認めて、仲間と一緒に一歩ずつやっていこう」という内側からの解放でした。 現代の変化 今は「依存症は脳の病気」という神経生物学的モデルが主流になり(NIDAなどの影響が大きい)、**「深刻に考えなくてはならない」**という外部からの要請に変わっています。理由は: 医学・精神医学・公衆衛生の枠組みが強まった(DSMの診断基準、保険適用、治療プログラムの標準化)。 政策・行政・医療機関が介入しやすくなった(強制的なプログラム、モニタリング、再発防止の名目での管理)。 製薬・治療産業のインセンティブも絡む。 結果として、当事者コミュニティの「自分たちで語る病気」から、専門家が定義し、管理する『患者』という位置づけにシフトした面があります。批判者たちはこれをmedicalization(医療化)や社会統制の手段と指摘します。病気だから「一生治療対象」「再発したら失敗」「専門家の指導なしではダメ」という物語になりやすい。 日本でも、アルコール健康障害対策基本法(2013年)以降、依存症を「慢性疾患」として位置づける公的アプローチが明確になり、支援体制は整備された一方で、当事者の声が相対的に薄れがちになった印象はあります。 両面性 これは一面的に「悪い変化」だけではありません。肯定的側面もあります: 医療アクセスが良くなった(一部の人にとっては救い)。 脳科学的な知見(報酬系・前頭葉機能の変化など)は、現象の説明力が高い。 スティグマを減らす意図はあった(ただし、完全に成功したとは言えない)。 一方で、あなたの指摘通り、「病気」ラベルが当事者の主体性を奪うリスクは現実的です。回復の鍵は結局「つながり」「意味のある生活」「環境の変化」にあるのに、「脳の病気だから薬と療法で管理しましょう」だけになると、当事者の内的な力や共同体的な智慧が軽視されやすい。ラットのパラダイム実験(孤立 vs 豊かな環境)のように、社会的文脈を無視した生物学的還元主義には限界があります。 本質的な問い 結局、「病気」という言葉自体が中立的でないんですよね。誰が、どんな目的でその言葉を使うかで意味が180度変わる。昔の当事者たちはそれを「解放の道具」にした。今の外部勢力(医療・行政・社会規範)は「管理の道具」にしている——というあなたの感覚は、多くの回復当事者や批判的心理学・社会学の視点と重なります。 依存症の回復で本当に大事なのは、「病気か否か」のレッテルではなく、その人が自分の人生をどう取り戻すかという主体的なプロセスだと思います。病気モデルをツールとして使いながらも、外部の管理から距離を取る「当事者主権」の視点が、今後より必要になるのではないでしょうか。 このテーマ、もっと深く話したいことがあれば聞かせてください。あなたの経験や具体的な事例から来ている感覚があれば、なおさら。
90年代くらいまでは 「依存症は病気だから深刻に考えるなよ」という当時者が当時者を解放する言葉でした しかし、今 「依存症は病気だから深刻に考えなくてはだめだよ」 に変わってしまった。 当時者の中で語られていた「病気」が、その人を管理するために外部の人が「病気」という言葉をねじ曲げてしまったように感じます。
1
5
486
90年代くらいまでは 「依存症は病気だから深刻に考えるなよ」という当時者が当時者を解放する言葉でした しかし、今 「依存症は病気だから深刻に考えなくてはだめだよ」 に変わってしまった。 当時者の中で語られていた「病気」が、その人を管理するために外部の人が「病気」という言葉をねじ曲げてしまったように感じます。
7
597
トム retweeted
1
1
11
387
ギャンブルに問題がある人は多様ですが、大きくわけると受動的な人と能動的な人がいます。支援や治療ということを考えたら、受動的な人は家族や支援者の提案に沿う傾向があります。その提案がその人に合えばよいのですが、合わない支援や治療にも沿うので、長期的に見ると支援を受けることで崩れることもあります。家族や支援者が、個別性を理解して、この人には合わないんだと思えばよいですが、依存症の再発と考え、同じ支援や治療に戻すと、追い詰められてしまいます。 自助グループに参加してくれたとか、相談支援を受けてくれたからと言って、よい方向に向いているとは限らないです。能動的な人が家族の提案を聞かなくても試行錯誤して自己改善する場合もあるので、支援や治療を過信しないほうがよいです。
11
140
仕立てが適当なナス。
4
72
ホイジンガは人間は面白いから遊ぶと言っています。ストレス発散とか、明日の英気を養うのは、遊びの結果であり、遊びの目的ではないということです。面白いから遊ぶということは、遊んでいる瞬間が面白いわけです。今、この瞬間が面白いのです。遊ぶことができる人は、今を生きることができると言えるのかもしれません。 ギャンブルなど人生の課題を生じている人は遊びが苦手な人が一定数います。その人たちは、過去や未来をあれこれ考えることにとらわれて、今を考えることはしません。遊びがないので今を生きる面白さを発見できないと言えるのかもしれません。反対に人生を豊かに生きる人は物質的な利益にならない遊びに没入する面白さ、今を生きる幸せを知っているように見えます。 #マラソン #遊び #マルティン・ブーバー #ヨハン・ホイジンガ
5
104
ギャンブル依存や就労支援など一定期間の支援を受けて、その支援がその人に効果があったか判断できるのは、その支援から離れて3年くらいの時間の経過が必要だと思います。支援を終えた後に問題行動が再燃すると、支援ではなく、本人に原因を求めることがありますが、違和感しかありません。もちろん、支援の限界もありますが、はじめから支援がズレていることもあるわけで。
10
175
これまでと違う雰囲気の濃い選曲。ポカンとする曲もありましたが汗、良かったです。ダフルアンコールでのあの曲での終わり方は最高。 #エスプレッソSUMMERtour #森高千里
6
243
受粉4〜5日のスイカ。 #金色羅皇
3
105
雨上がりラン。 #朝ラン
4
88
石井ふく子さんのドラマはマルティン・ブーバーの哲学と重なるように思います。「女と味噌汁」は、「我ーそれ」→「我ー汝」そのものです。先日のトークショーで、船越英一郎さんは車に乗ってくる石井ふく子さんを「ブーバー」と呼んでいたと話していましたが、まさかマルティン・ブーバーとも重ねていたわけでなないですよね。 #TBSレトロスペクティブ映画祭
3
165
鷹の台のCANDY。ミックスフライ定食。
4
178
羽村→三鷹(玉川上水)、ワンデーポート皆さんとウォーキング。
6
146
宗教哲学者のマルティン・ブーバーが唱えた A「我 — それ」の関係 B​「我 — 汝」の関係 ギャンブル依存問題に関して Aは国の対策、医療モデル。 Bは、依存の問題がある人が必要とする関係性(私はそう思っている)。当時者活動はBとして機能する集まりですが、国の対策に取り込まれて、メンバーに序列ができてしまうとAに変容してしまうことがある。
4
130