CGが不要な社会が訪れるよりも先に、
「AIでできることを、わざわざCGでやる意味あるの?」とか
「今さらCGを学んでも将来性はないよね」
といった空気が社会に広がることを懸念している。
進化する生成AIを目の当たりにし、
僕たちCG制作者自身も、CGの意義について疑念を抱かざるを得ない。
長年積み重ねてきた仕事やスキルが、無価値に思えて悩むこともある。
イラストや音楽制作と違い、
CGはいつの時代も“ブラックボックス”だった。
2025年の今も、多くの人にとってCGは「よく分からないもの」であり、
「ボタンひとつで作れるんでしょ?」
「CGの映画は味気ない」
といった言葉はいまだ消えていない。
そう考えると、
社会は表現としてのCGが消える事を拒まないと思う。
白組のアカデミー賞受賞やBlenderの躍進で、
ようやく社会にその凄さや面白さが認められるかもしれないと期待していただけに、
今の状況には複雑な気持ちになる。
CGと生成AIに共通しているのは、
その制作プロセスが見えず、体温を感じにくい点だと思う。
だからこそ、クーラーの効いた部屋で涼しい顔して、
ただボタンをポチポチしている様にしか見えないまま、
CG時代の終焉を迎えるのは、あまりにも寂しい。
せめてCGが消えてしまう前に伝えたい。
その裏側には、血と汗と涙で積み上げられた時間があることを。
寝不足で震える手でレンダリングを回し、
締切のプレッシャーに潰されそうになりながらも、
わずかな光の加減にこだわり続けたことを。
僕らは常に黒子だ。
映像を観る人に気づかれぬまま、
画面の隅々に命を吹き込んできた。
それでも、もしCGが消えてしまうのなら、
「こんな時代があった」と記憶に残したい。
無機質に見える映像の裏側に、
確かに人間の体温があったことを。
1:こんな時代だからこそCG屋には人間臭さが必要なのだ