Joined June 2012
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おれが考え続けているのは、ひとことで言えばこういうことだ。 外から押しつけられる「正しさ」や「評価」や「物語」に飲まれずに、内側から立ち上がる感覚(自分の軸)で生きたい。 しかも、それを現実の人間関係と生活のなかでちゃんと回す形にしたい。 大事なのは、頭の中で納得することではなく、日々の判断や行動として機能すること。つまり哲学や倫理、美学を「説明」ではなく、「生のOS」にしたい、ということだ。
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RT @5p_via: 昔、夫に「俺ではない人を好きになっても良いよ」と言われたことがある。 多くの人は「自分が家庭外恋愛してるんじゃないか」「ただの強がり」「愛がない」と感じるのかもしれない。…
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私のなんとなく思ってたことが言語化されている 自分も不倫されたら困るから他人叩く 安定保証が一気に崩れる でも結局は自分のパートナーとの関係性の問題なんで、いくら人を糾弾したところで何も変わらないんだけど
不倫を強く嫌悪する人間は、しばしば「道徳」を語る。 裏切りは悪だ。 配偶者を傷つける行為だ。 家庭を壊す行為だ。 だから許されない。 その言い分自体は、間違っていない。不倫は多くの場合、信頼関係を破壊し、当事者だけでなく周囲の人間にも深い傷を残す。批判されて当然の行為である。 だが、問題はその先にある。 不倫を見たとき、なぜ一部の人間は、当事者でもないのに異様な怒りを燃やすのか。 なぜ、まるで自分自身が裏切られたかのように興奮し、断罪し、人格を破壊するまで責めなければ気が済まないのか。 それは道徳心故ではない。 依存心をこじらせた人間の醜態である。 依存的な人間が本当に求めているのは、愛ではない。 保証である。 自分は捨てられない、自分だけが無条件に選ばれ続ける。関係は永遠に固定される。 その証明を求めている。 結婚は、その保証の象徴に見える。 指輪、誓約、戸籍、披露宴、そして家族という制度。 これらはすべて、関係が偶然ではなく、社会的に承認されたものだという安心を与える。 しかし、不倫はその幻想を壊す。 結婚していても、人は裏切る。 永遠を誓っていても、心は移ろう。制度があっても、欲望は拘束できない。「選ばれた」という事実は、「選ばれ続ける」という保証にはならない。 不倫を異常なまでに憎む人間は、この現実に耐えられない。 だから不倫をした人間を裁くことで、自分の不安を処理しようとする。 「こんなことをする人間は最低だ」 「絶対に許されない」 「社会的に終わるべきだ」 そう叫ぶことで、彼らは本当はこう言っている。 「そんな現実があっては困る」 「結婚が絶対でなければ困る」 「愛が移ろうものだと認めたくない」 つまり彼らが守っているのは、被害者ではない。道徳でもない。自分の安心である。 もちろん、不倫は批判されるべきだ。 裏切りを受けた人の怒りや悲しみは尊重されるべきだろう。 だが、第三者が道徳を盾にしてヒステリックに断罪する姿は、正義ではない。 それはただの未成熟である。 成熟した人間は、不倫を肯定しなくても、人間関係に完全な保証など存在しないことを知っている。 人は誓っても揺らぐ。 愛していても傷つける。 関係は制度ではなく、日々の選択によってしか維持されない。 その不安定さを引き受けられない人間ほど、他人の不倫を激しく裁く。 不倫を憎む声が大きいとき、そこにあるのは倫理ではない。 「自分は捨てられない」と信じたい人間の、怯えた叫びである。
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自分の中に新しい風を入れないと耐えられない、そういう人もいるんだよね。 ずっと固定されたままだと息苦しくなる。
現代社会では、コミットメントが道徳化されすぎている。 長く勤める人は偉い。 結婚する人はまともだ。 一つの道を貫く人は立派だ。 誰かに深く関われる人は成熟している。 逆に、移動する人、離れる人、変わる人、約束を渋る人は、どこか未熟で信用できないと見なされる。 だが、コミットメントは本当に常に善なのだろうか。 ひとつの会社に残ることが、単なる従属である場合もある。 結婚を続けることが、単なる我慢である場合もある。 一つの思想を貫くことが、単なる思考停止である場合もある。 逃げないことは、立派に見える。しかし逃げない人間が、必ずしも誠実なわけではない。 逃げないのではなく、逃げられないだけかもしれないからだ。 その意味で、回避性はコミットメントの道徳化に対する異議申し立てである。 「なぜ属さなければならないのか」「なぜ続けなければならないのか」「なぜ近づくことだけが愛なのか」「なぜ離れることは裏切りなのか」。 回避的な人間は、こうした問いを身体で発している。 言葉にすれば理屈っぽいが、彼らにとってそれはもっと即物的な感覚だ。 息苦しいから離れる。 捕まりそうだから逃げる。 その直感の中には、社会が忘れている自由への感度がある。
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まったく違うだろ。分かれよ笑
バカ真面目なのでそういう事を平然として(るように見える)人に怒りを感じやすい自覚はあるが、不倫への嫌悪と殺人事件の加害者に怒りを感じることは同じなのか?どちらも自分には直接関係ないという点では同じのように思うが。それはひいては他国の戦争を憎むのと同じものの源流なんだろか?わからん
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夫に不倫されました、と愕然としたように話す人に耳を傾けつつ、でも、要は、彼が別の女とセックスしたってだけのことだよね、という意味のことを返したら、そうではなく、彼に騙されていたことがショックなのです、と言う。 彼が嘘をついたってだけのことだよね、と思いつつ、それは言わないでおく。 あのね、人はいろんな人とセックスするものだし、人は人に必ず嘘をつくものなんですよ、と若い頃のおれなら、小馬鹿にしたような態度を取っただろう。 うわあ、嫌なやつだ。笑 今はそんなことは言わないですよ。ただ話を聞く。 まあ、たぶん、相談相手を間違えているけどね。
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久しぶりに、+M賞🏆笑
Replying to @freakscafe
常日頃、女の気持ちをちゃんと分かって差し上げろと仰ってますが、他人の不倫を批判するのは「自分が未熟な証拠」 って言う事は不倫された女の気持ちは何も分かってあげなくて良いんですかね。余計なお世話だから触れないであげるのが分かってあげる事になるんでしょうか。未熟ってなんですかね
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RT @_yuserena72_: ミクロの視点では確かにそう。ただ社会の秩序は、「一見当事者ではないが、おかしいことをおかしいと声をあげる個の集団」によって維持されて保たれていることも忘れたくない。…
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「誠実」「不誠実」とは "誠実さとは、自分が提供できないものを提供できるふりをしないこと" Mさんの投稿を読んで 以前付き合っていた彼から、風俗に行ってみたい、と隠さずに言ってくれたことが嬉しかったことを思い出した。 私が思う「不誠実」はこれを言ったら嫌われるんじゃないか?不快と思うじゃないか?傷つけるんじゃないか?評価が下がるんじゃないか?と思って本当のことを言わないこと。 大抵のことで嫌わんし、コソコソするから、繕うとするから嫌うし、その行為で信用できなくなる。 その程度で嫌うなら付き合わないし、私のことを想って言ってくれていることは不快だなんて受け取り方はしない。 見くびらないでほしい。 こういう些細なやり取りの積み重ねで、信頼関係は築かれる。 そして彼のように素直に言われると、自分も繕わずに曝け出せる。 私のように嬉しかったと受け取る人もいれば、相手によっては誠実に曝け出された内面を受け入れられないことも当然ある。 受け入れられれば、お互いが自分らしくいられるとても良い相性。 本当の相性を確かめるには曝け出す必要がある。 彼からの「風俗に行ってみたい」 というご要望については、 ・一回ならOK ・行ったら感想聞かせて ・良かったテクは教えて ・指名して通うなら別れるから言って と答えました
おれは根っからの回避性の人間なので、女を口説くときに「きみだけだよ」などとは言わない。 言ったことがない。 もちろん、その場の雰囲気でなら言える。言おうと思えば言える。だが、言った瞬間に自分で白けてしまう。 きみだけかどうかなんて、まだわからない。 永遠に好きかどうかなんて、もっとわからない。 付き合ってもいない相手にそんな約束をすること自体が、おれには不誠実に思える。 だから、おれの口説き文句は身も蓋もない。 「おれと寝て、きみに何かデメリットがある? 気持ちいいだけだぜ?」 はい。典型的なクズです。 最低と言われても仕方がない。 ところが不思議なことに、これが案外うまくいく。 なぜか? 多くの女は誠実な男が好きだ。 しかしそれと同じくらい、「誠実そうな男」にうんざりしているからだ。 恋愛には奇妙なインフレがある。 会ったばかりなのに特別扱いを約束する。 まだ相手のことをろくに知らないのに運命を語る。 身体が目的なのに純愛を装う。 本人も完全な嘘をついているわけではない。 その瞬間は本気なのだ。 酒が入り、相手に惹かれ、盛り上がった感情の中では、本当に「この人しかいない」と思っている。 もちろん、そんな熱量は永続しない。 三ヶ月後には変わる。 半年後には修正される。 一年後には撤回される。 そして撤回された側は、「騙された」と感じる。 実際には嘘だったのか、本心だったのかはどうでもいい。 結果として約束が消えたことだけが残る。 恋愛で傷つく理由の多くは、欲望そのものではなく、期待の破綻にある。 だから、ときどき奇妙な現象が起きる。 露骨な下心のほうが信用されるのである。 誤解しないでほしい。 下心が魅力的なのではない。 正直な欲望が高潔なのでもない。 信用されるのは、予測可能だからだ。 この男は何を求めているのか。 どこまで責任を取るつもりなのか。 何を約束しないのか。 それが最初から見えている。 人は善人を信用するわけではない。 予測できる人間を信用する。 たとえ多少ろくでもなくても、行動原理が明確な人間のほうが安心できる。 逆に、人格者に見える人間ほど怖い。 なぜなら、その人が何を欲しているのか見えないからだ。 欲望を隠した人間は美しく見える。 だが、美しく見えるだけで、透明とは限らない。 もちろん、おれの口説き文句にも問題はある。 「デメリットがある?」という言い方は、男側の都合のいい発想だ。 実際にはデメリットなどいくらでもある。 情が移るかもしれない。 傷つくかもしれない。 人間関係が変わるかもしれない。 期待が生まれるかもしれない。 セックスは身体の接触だが、人間は身体だけでできていない。 心も人生もついてくる。 だから本当に正直に言うなら、 「おれは君と寝たい。だが、恋人になることも永遠の愛も約束できない」 くらいが正確なのだろう。 若いころのおれは、誠実さとは相手を傷つけないことだと思っていた。 しかし今は違う。 人は誰かと関われば必ず傷つける。 恋愛ならなおさらだ。 どれだけ善良でも、どれだけ配慮しても、期待と現実はずれる。 だから誠実さとは、「傷つけない能力」ではない。 そんな能力は存在しない。 誠実さとは、自分が提供できないものを提供できるふりをしないことだ。 愛せないなら愛せると言わない。 待てないなら待つと言わない。 一緒に生きる覚悟がないなら、一緒に生きると言わない。 当たり前の話だが、多くの人はこれができない。 相手を失いたくないからだ。 好かれたいからだ。 嫌われたくないからだ。 だから期待を売る。 未来を売る。 理想の自分を売る。 そして後で回収できなくなる。 おれは回避性の人間だから、約束が苦手だ。 未来を語るのも得意ではない。 それはたぶん欠点なのだと思う。 だが、その欠点のおかげで学んだこともある。 約束できないことは約束しない。 与えられないものは与えると言わない。 期待を先に売らない。 人は美しい言葉に惹かれる。 だが最後に信用に値するするのは、美しい言葉ではない。 この人は何をする人なのか。 何をしない人なのか。 それが見える人間である。
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何て言うか… 今って「心頭滅却すれば火もまた涼し」とか言いながら、火事場から逃げずに焼き尽くされてしまっているような方々が多いのよね、きっと。 「アッチィー、うおりゃー早く逃げるぞ」という反応が、本来、人として健全な訳で…
現代社会では、コミットメントが道徳化されすぎている。 長く勤める人は偉い。 結婚する人はまともだ。 一つの道を貫く人は立派だ。 誰かに深く関われる人は成熟している。 逆に、移動する人、離れる人、変わる人、約束を渋る人は、どこか未熟で信用できないと見なされる。 だが、コミットメントは本当に常に善なのだろうか。 ひとつの会社に残ることが、単なる従属である場合もある。 結婚を続けることが、単なる我慢である場合もある。 一つの思想を貫くことが、単なる思考停止である場合もある。 逃げないことは、立派に見える。しかし逃げない人間が、必ずしも誠実なわけではない。 逃げないのではなく、逃げられないだけかもしれないからだ。 その意味で、回避性はコミットメントの道徳化に対する異議申し立てである。 「なぜ属さなければならないのか」「なぜ続けなければならないのか」「なぜ近づくことだけが愛なのか」「なぜ離れることは裏切りなのか」。 回避的な人間は、こうした問いを身体で発している。 言葉にすれば理屈っぽいが、彼らにとってそれはもっと即物的な感覚だ。 息苦しいから離れる。 捕まりそうだから逃げる。 その直感の中には、社会が忘れている自由への感度がある。
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これめちゃくちゃ分かるな。結婚という契約を成している以上、不倫行為そのものについて肯定する気は毛頭ないしその文脈で批判されるのも分かるけど 心の移ろいは誰にも止められない かつ しばしばあり得るものだと思ってるから、不倫前提で結婚を考えてる。結婚するなら浮気されても問題ない人がいい
不倫を強く嫌悪する人間は、しばしば「道徳」を語る。 裏切りは悪だ。 配偶者を傷つける行為だ。 家庭を壊す行為だ。 だから許されない。 その言い分自体は、間違っていない。不倫は多くの場合、信頼関係を破壊し、当事者だけでなく周囲の人間にも深い傷を残す。批判されて当然の行為である。 だが、問題はその先にある。 不倫を見たとき、なぜ一部の人間は、当事者でもないのに異様な怒りを燃やすのか。 なぜ、まるで自分自身が裏切られたかのように興奮し、断罪し、人格を破壊するまで責めなければ気が済まないのか。 それは道徳心故ではない。 依存心をこじらせた人間の醜態である。 依存的な人間が本当に求めているのは、愛ではない。 保証である。 自分は捨てられない、自分だけが無条件に選ばれ続ける。関係は永遠に固定される。 その証明を求めている。 結婚は、その保証の象徴に見える。 指輪、誓約、戸籍、披露宴、そして家族という制度。 これらはすべて、関係が偶然ではなく、社会的に承認されたものだという安心を与える。 しかし、不倫はその幻想を壊す。 結婚していても、人は裏切る。 永遠を誓っていても、心は移ろう。制度があっても、欲望は拘束できない。「選ばれた」という事実は、「選ばれ続ける」という保証にはならない。 不倫を異常なまでに憎む人間は、この現実に耐えられない。 だから不倫をした人間を裁くことで、自分の不安を処理しようとする。 「こんなことをする人間は最低だ」 「絶対に許されない」 「社会的に終わるべきだ」 そう叫ぶことで、彼らは本当はこう言っている。 「そんな現実があっては困る」 「結婚が絶対でなければ困る」 「愛が移ろうものだと認めたくない」 つまり彼らが守っているのは、被害者ではない。道徳でもない。自分の安心である。 もちろん、不倫は批判されるべきだ。 裏切りを受けた人の怒りや悲しみは尊重されるべきだろう。 だが、第三者が道徳を盾にしてヒステリックに断罪する姿は、正義ではない。 それはただの未成熟である。 成熟した人間は、不倫を肯定しなくても、人間関係に完全な保証など存在しないことを知っている。 人は誓っても揺らぐ。 愛していても傷つける。 関係は制度ではなく、日々の選択によってしか維持されない。 その不安定さを引き受けられない人間ほど、他人の不倫を激しく裁く。 不倫を憎む声が大きいとき、そこにあるのは倫理ではない。 「自分は捨てられない」と信じたい人間の、怯えた叫びである。
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現代社会では、コミットメントが道徳化されすぎている。 長く勤める人は偉い。 結婚する人はまともだ。 一つの道を貫く人は立派だ。 誰かに深く関われる人は成熟している。 逆に、移動する人、離れる人、変わる人、約束を渋る人は、どこか未熟で信用できないと見なされる。 だが、コミットメントは本当に常に善なのだろうか。 ひとつの会社に残ることが、単なる従属である場合もある。 結婚を続けることが、単なる我慢である場合もある。 一つの思想を貫くことが、単なる思考停止である場合もある。 逃げないことは、立派に見える。しかし逃げない人間が、必ずしも誠実なわけではない。 逃げないのではなく、逃げられないだけかもしれないからだ。 その意味で、回避性はコミットメントの道徳化に対する異議申し立てである。 「なぜ属さなければならないのか」「なぜ続けなければならないのか」「なぜ近づくことだけが愛なのか」「なぜ離れることは裏切りなのか」。 回避的な人間は、こうした問いを身体で発している。 言葉にすれば理屈っぽいが、彼らにとってそれはもっと即物的な感覚だ。 息苦しいから離れる。 捕まりそうだから逃げる。 その直感の中には、社会が忘れている自由への感度がある。
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器の広さってこういうところに現れる。
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私は恋愛体質のADHD気味、優しくない人がたまに見せる優しさとかを刺激として過ごしてきて、安定してくるとメンヘラして相手と山谷を作るトンデモだった。今は安定したからといって飽きられてる訳ではない、優先順位を下げられていない、という感覚が分かるようになってから落ち着いたな〜。
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昼飯。玄米、納豆、とろろ、野沢菜昆布漬のスーパーパワーチャージねばねば丼。
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結婚という制度を不変の定数と誤認して、他者の言動に自らの安心を依存させる姿勢は極めて脆弱。不確実な人間関係に絶対の保証を求めるのではなく、その不安定さを引き受けるリアリズムこそが、自分の人生の主導権を握るための基本所作。
不倫を強く嫌悪する人間は、しばしば「道徳」を語る。 裏切りは悪だ。 配偶者を傷つける行為だ。 家庭を壊す行為だ。 だから許されない。 その言い分自体は、間違っていない。不倫は多くの場合、信頼関係を破壊し、当事者だけでなく周囲の人間にも深い傷を残す。批判されて当然の行為である。 だが、問題はその先にある。 不倫を見たとき、なぜ一部の人間は、当事者でもないのに異様な怒りを燃やすのか。 なぜ、まるで自分自身が裏切られたかのように興奮し、断罪し、人格を破壊するまで責めなければ気が済まないのか。 それは道徳心故ではない。 依存心をこじらせた人間の醜態である。 依存的な人間が本当に求めているのは、愛ではない。 保証である。 自分は捨てられない、自分だけが無条件に選ばれ続ける。関係は永遠に固定される。 その証明を求めている。 結婚は、その保証の象徴に見える。 指輪、誓約、戸籍、披露宴、そして家族という制度。 これらはすべて、関係が偶然ではなく、社会的に承認されたものだという安心を与える。 しかし、不倫はその幻想を壊す。 結婚していても、人は裏切る。 永遠を誓っていても、心は移ろう。制度があっても、欲望は拘束できない。「選ばれた」という事実は、「選ばれ続ける」という保証にはならない。 不倫を異常なまでに憎む人間は、この現実に耐えられない。 だから不倫をした人間を裁くことで、自分の不安を処理しようとする。 「こんなことをする人間は最低だ」 「絶対に許されない」 「社会的に終わるべきだ」 そう叫ぶことで、彼らは本当はこう言っている。 「そんな現実があっては困る」 「結婚が絶対でなければ困る」 「愛が移ろうものだと認めたくない」 つまり彼らが守っているのは、被害者ではない。道徳でもない。自分の安心である。 もちろん、不倫は批判されるべきだ。 裏切りを受けた人の怒りや悲しみは尊重されるべきだろう。 だが、第三者が道徳を盾にしてヒステリックに断罪する姿は、正義ではない。 それはただの未成熟である。 成熟した人間は、不倫を肯定しなくても、人間関係に完全な保証など存在しないことを知っている。 人は誓っても揺らぐ。 愛していても傷つける。 関係は制度ではなく、日々の選択によってしか維持されない。 その不安定さを引き受けられない人間ほど、他人の不倫を激しく裁く。 不倫を憎む声が大きいとき、そこにあるのは倫理ではない。 「自分は捨てられない」と信じたい人間の、怯えた叫びである。
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逆にいうと、私はいつも感心する事があって、 不倫を強く嫌悪する人(特に女性)は、相手を永遠に好きなんだよね。 というか、好きであるための努力を自然とする。 習慣にしている。 心が移ろう発想がない。 好きであり続ける事が当然だから。 私は、心は移ろう前提の世界観をもっているから、 好きでいる努力は意識的にする。 手入れをして、育てようとする。 だから、結果的に長持ちすることはあるだろうなとは思う。 それでもどうしようもない出来事が起きたらまぁそれは仕方ない(笑) ご縁があったらまた会う事もあるだろう、と。 とはいえ、この流れとして受け止める、という行動は、裏返すと諦めやすさでもあったりするんだろうなとは思う。 対して、一緒の墓に入る気が満々の人達は、どうしようもできない出来事が起きたとしても、全エネルギーを持って対処しようとする。 馬力がすごい。 「この船は絶対に沈ませない」という意思がある。 だから、その意思を持っていない、または意思に乗って来ない人に対して、怒りや混乱、裏切りにも似た感情を持つのは結構自然な事なんだろうな、と理解するようになった。 だから私は、そのパートナーシップに関する馬力の持ち主に対して、素直にすごいなって思ってたりはする。 A:保証がない事を知っているから、当たり前だと思わずに手入れしよう。 B:自分は保証前提(努力も当然する)だから、相手も保証前提であってほしいと思ってしまう。 両者の価値観は、いいところもあり、悪いところもあり、という感じだなぁと。まだ学び合える。 (とはいえ、"自他境界"という概念を持っているかどうかはまた別なので、 "他人の不倫"に激おこになるのはおっしゃる通り未熟性の現れでもあるとは思ったりはします。 そして、秘密結社さんのおっしゃる内容は、この自他境界が曖昧な人達に対する話なので、同意前提です。)
不倫を強く嫌悪する人間は、しばしば「道徳」を語る。 裏切りは悪だ。 配偶者を傷つける行為だ。 家庭を壊す行為だ。 だから許されない。 その言い分自体は、間違っていない。不倫は多くの場合、信頼関係を破壊し、当事者だけでなく周囲の人間にも深い傷を残す。批判されて当然の行為である。 だが、問題はその先にある。 不倫を見たとき、なぜ一部の人間は、当事者でもないのに異様な怒りを燃やすのか。 なぜ、まるで自分自身が裏切られたかのように興奮し、断罪し、人格を破壊するまで責めなければ気が済まないのか。 それは道徳心故ではない。 依存心をこじらせた人間の醜態である。 依存的な人間が本当に求めているのは、愛ではない。 保証である。 自分は捨てられない、自分だけが無条件に選ばれ続ける。関係は永遠に固定される。 その証明を求めている。 結婚は、その保証の象徴に見える。 指輪、誓約、戸籍、披露宴、そして家族という制度。 これらはすべて、関係が偶然ではなく、社会的に承認されたものだという安心を与える。 しかし、不倫はその幻想を壊す。 結婚していても、人は裏切る。 永遠を誓っていても、心は移ろう。制度があっても、欲望は拘束できない。「選ばれた」という事実は、「選ばれ続ける」という保証にはならない。 不倫を異常なまでに憎む人間は、この現実に耐えられない。 だから不倫をした人間を裁くことで、自分の不安を処理しようとする。 「こんなことをする人間は最低だ」 「絶対に許されない」 「社会的に終わるべきだ」 そう叫ぶことで、彼らは本当はこう言っている。 「そんな現実があっては困る」 「結婚が絶対でなければ困る」 「愛が移ろうものだと認めたくない」 つまり彼らが守っているのは、被害者ではない。道徳でもない。自分の安心である。 もちろん、不倫は批判されるべきだ。 裏切りを受けた人の怒りや悲しみは尊重されるべきだろう。 だが、第三者が道徳を盾にしてヒステリックに断罪する姿は、正義ではない。 それはただの未成熟である。 成熟した人間は、不倫を肯定しなくても、人間関係に完全な保証など存在しないことを知っている。 人は誓っても揺らぐ。 愛していても傷つける。 関係は制度ではなく、日々の選択によってしか維持されない。 その不安定さを引き受けられない人間ほど、他人の不倫を激しく裁く。 不倫を憎む声が大きいとき、そこにあるのは倫理ではない。 「自分は捨てられない」と信じたい人間の、怯えた叫びである。
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オーティスティック関連の困りごともその傾向あると思う。 あくまで自分独自の個別事象として解き明かし対処を考えた方がええと思う。
浮気したこともされたこともあるけど、そんな大袈裟な体験ではなかったね。笑 つまり、人それぞれです。 自分の傷を安易に普遍化してルサンチマンに転化して、さらにその自分の正義に酔いしれるような態度は、控えめに言って害悪でしかない。
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恋愛体質のADHDの人は、強く愛せる。深く夢中になれる。 相手のために大きなエネルギーを出せる。 それは大きな魅力である。 しかし結婚では、刺激だけを基準にしてはいけない。 強烈に惹かれる相手より、生活が崩れない相手。 ドキドキさせる相手より、安心して話せる相手。 夢中にさせる相手より、夢を応援してくれる相手。 救いたくなる相手より、共に責任を持てる相手。 不安にさせる相手より、神経系を整えてくれる相手。 恋愛体質のADHDにとって、結婚で最も大切なのは、恋の火を燃やし続けることではない。 その火で自分を焼き尽くさず、人生を照らす形に整えることである。
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