学校の先生が将来のためと称して脅すようなことを言うたびに、家庭で塗り替えるのに苦労します。先生方は良かれと思って悪気なく、あなたのため、将来のためって言い、それが「しなければ」に変換されてる。
周りはごちゃごちゃ言うけど責任は取っちゃくれない。どうしたい?自分で決めな!
困った ことに、自我が芽生える多感な時期になるほど、学校で先生が何を言ったかなんて話題になりにくいので、進路を語る時に発覚することが多く、その頃には「べきべき・ねばねば」が完成してる
社会が望む人材像と学校教育が望む人材像の乖離が激しくなると、苦しむのは子供らなんだよな。
中高大で「何のために学ぶのか」みたいな対話の場を仕掛けたいし、高大地元企業で「社会が求める人材とは」みたいな対話の場を作ったらいいだろなと思う
思うが、我が町は人口一万人を切る高校のない島なので、人を外から呼ばないといけないとなると現実的じゃない。オンラインか・・・
お好きに生きればいいのです!
「しなければならない」と思い込んでいることは、
たいてい
「しなければならないこと」はないよ
そう思い込んでるだけ
よくよく考えてみれば
「しなくても」全然生きていけるよ
お好きになさいな
お好きに生きればいいのです