おそらくお前らは地球温暖化の現実をほとんど何も知らないので、仕方ないから説明してやろう。お前らがバカすぎてこっちの頭まで悪くなりそうだ。
まず、いますぐに地球上の人工的炭素排出が完璧に停止したとしても、何万年という期間、気温はほとんど下がらない。これはよく報道されているから知っているだろう。
じゃあなんで炭素の排出が止まっても気温が下がらないのか?というと、じつはいま現在の気温上昇値は、いま現在の炭素濃度に見合っていないからだ。いま現在の炭素濃度は、いまよりはるかに地球を温暖化させるポテンシャルを持っている。
われわれの炭素排出量があまりに早く大量であるために、気温の上昇が追いついていない、というわけだ。
わかるか?
つまりわれわれがいますぐ炭素排出を完全に停止できたとしても、地球は今後もずっと温暖化し続ける。それが止まるのは、われわれがすでに排出してしまった炭素濃度の限界まで温暖化が進んだときだ。
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※いまから出す数値はうろ覚えだから正確ではないかもしれないが、概念を理解しやすくするために数値を出して説明する。正確な値はAIでも使って自分で調べろ。
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たしかいま現在の炭素濃度が430ppmくらいだ。そしていま現在の気温上昇値(産業革命以前との比較)が1.3℃くらいだ。
だが430ppmという濃度には気温を1.9℃くらい上昇させるポテンシャルがある。つまり気温をあと 0.6℃くらい上昇させる炭素濃度に、もうすでに達してしまっている。だからいま排出をやめても、積極的に炭素濃度を下げる方法をみつけない限り、気温の上昇を止められない。
脱炭素を指向するか否かというのは、この深刻な事態をいま以上に悪化させてはならないという危機感があるのか、ないのかの問題。ようするに知性の問題なんだよ。
ちなみに気温上昇が1.3℃(つまり現状)で収まる炭素濃度は380ppmくらいらしい。産業革命以前は280ppmくらいだったはず。つまりいまからめっちゃ努力して炭素濃度を減らしていって、380ppmまで下げられたら、そこからようやく炭素濃度の減少と気温の低下が密接になってくる。
380ppmまで下がるのにかかる時間の試算には諸説あってバラつきが大きいが、もし人類が完全に人工的な炭素排出を行わなくなったとしても50年とか100年、そういう時間がかかるとされている。産業革命以前の水準に戻すには何十万年かかるという試算もある。これにはパルスという難解な概念の理解が必要になるのでここでは詳しく話さないが、つまり、実質戻すことはできないということだ。
いくら努力してもわれわれが生きているうちにその成果を体感することはできないだろう。だがこれは未来のために必要なことだ。過去の人類の過ちを、未来の人類たるわれわれが正して行かなければならない。われわれの過ちも、未来の人類が正して行くことになる。
その努力をあざ笑い、環境をとりもどすことよりもEVをこき下ろすことに必死な連中を、ぼくがどれほど見下しているか想像つくか?
全てをいきなりゼロにはできない。完璧なことはできない。われわれは現実をみなければならない。だが理想のために努力することは、避けてはならない義務と責任だ。それが人間性だ。
現実を直視し、理想を追い、そのために努力する。EV推進はその努力のひとつであり、ぼくはそれに賛同する。EVが優れているからではない。EVが好きだからでもない。地球の自然環境とそこに住む生物のためだ。
人類がどれほどの温暖化ガスを排出しているのかを理解するために使える記事。
ほっとけば気温はさらに上昇し、気候は変化し、海流は遮られ、生態系がぐちゃぐちゃになる。われわれの生活がどうなってしまうのか予想がつかないが、良くなることがないのは間違いない。
なにしろ現在どころか5万年後の氷河期さえキャンセルさせてしまうほどの温暖化ガスを、われわれは出し続けている。
これを止める、という使命がどれだけ重要なことなのかを理解できないやつは頭がイカれてるとしかいいようがない。だがそんなやつが山ほどいるのが現実だ。
欧州では政府が、利益にかじりついて環境を考えようとしない資本のケツを叩いてオートモービルのEV化に舵を切った。EVが内燃機関より優れているからではない。そうしなければならないほど、地球の環境が破壊されてしまったからだ。
内燃機関が吐き出す温暖化ガスを自然環境に放出することで浄化の責任を外部不経済化してきた資本に、その責任を取らせようという当たり前の方針。
これは欧州各国にとっても不利益が大きい。いままでより不便になり、儲けが減り、トラブルが増える。にも関わらず、彼らは地球環境のためにその不利益を受け入れようとしている。
資本は目先の利益しか考えない。カネを使って政治を動かそうとする。EV化の流れを少しでも妨げようと全力で挑んでいる。その結果、欧州のEV化は以前と比べればやや減速した感がある。しかし止まってはいない。利益より環境という価値観が駆逐されたわけではない。闘いは続けられている。
一方で日本人はどうかというと。
『こだわりのガソリンエンジン』
『優秀なガソリンエンジン』
『やっぱりエンジンはガソリンだネ!』
『ガソリンにこだわるオレたちのトヨタ、オレたちの章男』
バカ丸出しだ。
お前ら地球環境が破壊され尽くしたところで、何が内燃機関なんだと。
どういうことかはわからんが、日本人には産業が自然を破壊して支配することにカタルシスを感じる野蛮さがある。昔から環境破壊や公害に寛容、鈍感、無責任だった。いまもまた、氷河期スキップ程度の天変地異ではガソリンエンジンをやめない頑なさをみせている。
これではいかんぞ。
お前らは変わらなければならない。なぜならわれわれ自身が地球環境を変えすぎてしまったからだ。この責任はわれわれ全てにある。誰も逃れることはできない。われわれ全員が当事者なのだ。
われわれは自然と共に生きている。
それを忘れるな。